いざない

※ 一部、管理人がふりがなを入れました

 四国遍路の寺・上 三角寺 P183

四国霊場は行をする場所です。行をすることによって大師の御徳をいただくのだということを忘れて、判子を集めたから功徳があるとおもっています。今回の私の話には、こういう機会に四国遍路はいかにあるべきか、ということを考えていただきたいという意味がこめられているわけです。


 四国遍路の寺・下 霊山寺 P28

現状だけで解釈なさらないで、遍路・巡礼する方は奥の院を目指してください。札所でも山の中のところがありますから、奥の院に行ったからといって、たいへんな手間ではない。できれば団体ではなくて、ご自分の納得いくようにお回りになって、奥の院を訪ねて行かれると、奥の院で本当の弘法大師の信仰がわかります。


 四国遍路の寺・下 焼山寺 P84

いいところだけを選んで霊場を回られるようおすすめします。本当の霊場といえるところは二十か所ぐらいでしょうか。そういうところをお回りになると、遍路のありがたさ、あるいは弘法大師の偉大さを感じます。もっとも、そういうところほど難所になっているわけです。


 四国遍路の寺・下 焼山寺 P90

真正の霊場には必ず行場があります。行場のない霊場はいささかあやしい霊場です。現在は町の中にあるけれども、山の上に奥の院がある、そこに行けば行場があるというところもあります。本当の遍路をなさる方は、奥の院を聞いて、奥の院を回らないといけません。


 四国遍路の寺・下 鶴林寺 P129

札所を参拝されて時間があればかならず奥の院に行ってみてください。奥の院から発祥して現在のお寺ができたというところが非常に多いので、奥の院を見なければそのお寺の信仰なり歴史なりがわかりません。その場合、「海の奥の院」があるということが、四国の辺路に多い現象だということを忘れないでいただきたい。


 四国遍路の寺・下 最御崎寺 P159

札所に行っても、奥の院までたずねてみないと、札所と弘法大師のつながり、そして札所の宗教的な意味がわかりません。私のお話もなるべくそれを中心にしたいとおもいますし、見学の機会がありましたら、ぜひそういうところを見ていただきたいとおもいます。


 四国遍路の寺・下 青龍寺 P243

こうしていろいろなものを見ていくと、札所の性質として、もとは弘法大師が修行をするような行場であったのが、しだいにお寺を人々がお参りしやすい平地に移していくということがあります。一つは、麓に移す場合があります。あるいは、近くに建物の整ったお寺があると、いわばヤドカリが宿を借りるように、本尊さんだけをもってきて、建物をそのまま使って、もとの札所の名前に変えてしまうという場合もあります。
 (略)
そうなると、もとの修行の場所は奥の院という名前で残ります。ところが、だんだんに奥の院が忘れられて、さながら昔からあった大師堂にお参りするようなかたちになってしまいます。そういう変化が近世初期に起こりました。


 四国遍路の寺・上 第一講 総論 P23

ですから、奥の院はまず例外なく洞窟です。そういうことも実際に調査してだんだんわかってまいりました。洞窟がないと火を焚いたり常夜灯をともすことはできません。従来は初めからお寺があったように考えられていましたが、じつはそうではないようです。