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箸蔵寺 別格第15番 金刀比羅宮(ことひらぐう)の奥之院
(はしくらじ)
蔵谷の行場
( - )
徳島県三好市
箸蔵寺
蔵谷の行場(このあたりだと思います)


善通寺から大窪寺への直行ルートが基本になりますが、箸蔵寺もたずねました。雲辺寺(うんぺんじ)→ 箸蔵寺 → 善通寺(ぜんつうじ)のルートになります。蔵谷の行場と空海の修行との関係は不明ですが胎蔵界の巌窟として探索しました。駐車料は無料です。

箸蔵寺は「こんぴらさん」で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)の奥之院です。明治の神仏分離によりそれまでの神仏習合の世界が一変しました。金刀比羅宮と金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)について整理しておきます。ふりがなや注は管理人が入れました。

<古今御朱印研究室/四国八十八ケ所>のサイトより
『明治の神仏分離以前、金刀比羅宮(ことひらぐう)は象頭山松尾寺(ぞうずざん・まつおじ)という寺院であった。しかし、激しい廃仏毀釈のために廃寺となり、本坊金光院の住職は復飾(注:僧が還俗(げんぞく)すること、ふくしょく)して大物主神(おおものぬしのかみ)を御祭神とする神社(金刀比羅宮)になった。現在の松尾寺は、旧松尾寺の塔頭(たっちゅう)であった普門院が松尾寺の法灯を継承したものである。もともと普門院は、象頭山にあった滝寺の十一面観音を本尊とする独立した寺院であった。しかし、寺の維持が困難になったため、寛永15年(1638)、本尊を金光院に譲り、滅罪(めつざい)を司る塔頭となった。』 ※(管理人注) 金光院に譲られた十一面観音が、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の本地仏(ほんちぶつ)です。

●「古今御朱印研究室/四国八十八ケ所」のサイト:
    http://goshuin.ko-kon.net/shikoku88/216_matsuo-ji.html

<金刀比羅宮>の公式サイトより
『現在、金刀比羅宮(ことひらぐう)には大物主神(おおものぬしのかみ)とともに、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が祀られている。金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の本地仏(ほんちぶつ)として祀られていた本尊の十一面観音像は明治に入り信仰の対象から外されたが、社宝として観音堂に納められている。』

●「金刀比羅宮」のサイト:
    http://www.konpira.or.jp/about/history/main/history.html

<ウィキペディア>のサイトより
『(象頭山松尾寺に祀られていた)不動明王と毘沙門天の二体の脇侍仏は(廃仏毀釈により)破却の危機に直面したが、松尾寺の末寺である万福院住職の宥明によって救い出された。明治15年(1882)、岡山市の西大寺の住職光阿によって同寺に勧請され、あらためて金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の本地仏として祀られて現在に至る。明治42年(1909)、象頭山松尾寺は、建物・宝物の所有権と返還を求めて金刀比羅宮(ことひらぐう)を相手に訴訟を起こしたが、明治43年(1910)7月7日、高松地方裁判所は原告の請求を棄却する判決を下した。』(要約) ※(管理人注) 金刀比羅宮の旭社は、神仏分離以前の松尾寺の金堂だそうです。

●「ウィキペディア」のサイト:
    http://ja.wikipedia.org/wiki/金刀比羅宮

ということから「こんぴらさん」の金毘羅大権現へのお参りは、金刀比羅宮・宝物館の「十一面観音(本地仏)」、西大寺・牛玉所殿(ごうしょでん)の「不動明王と毘沙門天(本地仏)」、そして、金刀比羅宮の奥之院でもある箸蔵寺の金毘羅大権現(秘仏につき未公開)、ということになります。

大げさかもしれませんが、「こんぴらさん」と金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の顛末に見られるように、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動につながった明治政府による神仏分離(しんぶつぶんり)は、『藩政時代の特権を喪失したことによってもたらされた仏教の危機は、仏教界の反省を促し、伝統仏教の近代化に結びついた。(ウィキペディアより)』という恩恵もあったかと思いますが、貴重な文化財の破壊や離散のみならず、延々と続いてきた神仏習合という日本独自の精神文化をも破壊してしまったと考えざるをえません。


ロープウェイ乗り場 / ほとんどの参詣者はこちらを利用されるようです。遍路道は乗り場の向こう側になります。


ロープウェイ乗り場から国道33号を1kmくらい登るとバス停があります。ここから1車線の舗装された参道が仁王門まで続きます(約3km)。


一般車は仁王門まで


頭上にはロープウェイ(右手は仁王門)


駐車場のトイレの左手の道から谷へ下ります(徒歩10分、帰路は15分)。雨天時は足下に注意してください。


治水工事中でした。道が整備されていたのは建設機械を入れるためでした。


左手に蔵谷の行場が現れます。


右側の施設は衣を着替える部屋のようです。


蔵谷の行場(蔵谷巌窟)/ 身がひきしまります。


蔵谷巌窟 / 蔵谷大権現が祀られているそうです。不謹慎ながら扉を開けて撮影させていただきました。


行場まわりの石仏


鞘橋(さやばし)から本坊へ続く石段(約400段)/ 仁王門からの参道です。


護摩殿から御本殿に向かう途上に構える鐘楼


御本殿や御影堂への最後の石段を振り返る / 本坊からの石段は約300段。ロープウェイを利用してもこの石段を上らなくてはいけません。


観音堂 / 風格と存在感が充満していました。


御本殿 / 金毘羅大権現(秘仏)が祀られています。



箸蔵寺


蔵谷の行場(このあたりだと思います)