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金磯弁財天 第18番奥之院
(かないそべんざいてん)
徳島県小松島市


『四国遍路の寺・下』の恩山寺の項で『ここの特色は、非常にクラシックだということです。辺路という海岸をめぐる信仰としては、最も典型的な奥の院が海辺にあります。』『この場所は修行者の籠る(こもる)洞窟と行道岩があるので、海洋宗教の霊場の条件を満たしています。行道というのは、これをぐるぐると回る行です。』と述べられています。

が、洞窟と行道岩は確定できませんでした。「洞窟」とは立ち入り禁止になっている洞窟(防空壕?)なのか、「行道岩」とは蓬莱山北側の岩場のことなのか、など、次回の課題とします。

なお、金磯弁財天は『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会編)の地図編・解説編ともに掲載されていません。手落ちかと。トイレあり。駐車料は無料です。


県道120号、金磯の交差点から東へ。最初のカーブミラーで住宅地を左に入り(交差点から約170m)、少し進むと松原に出ます(カーブミラーから約170m)。松原は仏堂(神殿)の参道のような地形になっています。


海岸から仏堂(神殿)のある蓬莱山を望む。金磯の地はかつては干潟で、新田の造成が行われた宝暦12年(1762)までは蓬莱山は島だったそうです。


西側より / こちらに洞門があるようですが、干潮時に現れるのか、松原の防波堤からは確認できませんでした。五来氏が述べられている「行道岩」はこの岩場のことかもしれません。板状の新しい防波堤の向こう側に仏堂(神殿)があります。


東側より


仏堂(神殿)は戦国時代から江戸時代初期の頃に建てられたそうです。


立ち入り禁止の洞窟(防空壕?)/ 五来氏が述べられている「洞窟」かもしれません。「修行者の籠る(こもる)洞窟」の印象が薄いです。もとの洞窟に手を加えられたのかも。


仏堂(神殿)裏の蓬莱山は遊歩道で巡ることができます。


石像が鎮座する祠がありました。格子を通して海上の岩が遠望できます。


岩山の中央に祠が見えました。どうやら、格子のある祠は遥拝所のようです。


左が室岩(もろいわ、兜岩)/ 義経はここに船団を集結させ、弁天島に上陸して軍議を開いたそうです。