十夜ヶ橋 ← 太山寺 → 白石の鼻
 


太山寺 第52番
(たいさんじ)
経ケ森
(きょうがもり)
護摩ケ森
(ごまがもり)
岩子山
(いわこやま)
愛媛県松山市
太山寺
経ケ森


規模の大きなお寺です。太山寺には七か所だけの辺路修行(中辺路)があったことを示す納札(板札)が残っているそうです。

太山寺への遍路道は表参道(太山寺道)のほかに松山観光港から、高浜港から、梅津寺から、三津港から、があるようです。「愛媛県生涯学習センター」のサイトによると、

・三津港からの遍路道
明治に入り、中国地方や九州、瀬戸内海西部の島々からの上陸港として繁栄期を迎える。各方面からきた遍路は太山寺から札を打ち始め、四国八十八ヶ所を回り、石手寺で打ち終わると上陸地の三津港へ戻る道順をとったと思われる。(要約)

・高浜港からの遍路道
明治25年(1892)、伊予鉄道が高浜まで延長され同28年に高浜港が開港した。高浜港利用の遍路が増えてくると、新たに新苅屋(高浜)から木谷越えの山道をたどって峠を越え、太山寺本堂の裏に直接出て表参道に合流する道が作られた。(要約)

と、紹介されています。

●「愛媛県生涯学習センター」のサイト:
    http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?

高浜へのルートに霊仙洞と呼ばれる洞窟があるそうです。海側からの遍路は明治に入ってからのようなので、明治以前は経ケ森から西側地域は人の往来が少なかったと考えられます。経ケ森を金剛界(こんごうかい)、霊仙洞を胎蔵界(たいぞうかい)、護摩ケ森で聖火を焚き、垢離かきとして(無理矢理に)白石の鼻を加えると行道の地としてのイメージが膨らみます。

駐車料は無料です(駐車場にトイレあり)。


納経所手前の不動堂


四天王門(三の門)/ ※一の門、二の門(重要文化財)は未撮影です。


本堂


本堂右手の護摩堂


続いて稲荷堂


さらに聖徳太子堂が連なります。


鐘楼堂


大師堂


長者堂


身代わり観音 「当山の山頂奥之院に建っていた十一面観音像で、平成十三年三月二十四日、松山沖でマグニチュード六・七の芸予大地震に見舞われた際、震源地に向かって建っていたこの像が落下。身代わりとなって不思議に被害が大変少なかった。南無大慈大悲観世音菩薩 合掌」(案内より)


赤線が経ケ森〜護摩ケ森〜岩子山へのルートです。太山寺丘陵へ行こう!のサイト (http://angelcymeeke.web.fc2.com/taisanji/a_6.html) で紹介されたルート図を持参しましたが、やはり間違えました。⑥の分岐を見逃して⑨まで進行。帰路、⑧から岩子山を目指しましたが、生い茂る雑草のため退却、結局、岩子山には登れませんでした。


① 身代わり観音の右手から経ケ森へ向かいます。


参道


② 松山観光港、高浜港、経ケ森(護摩ケ森、岩子山、梅津寺)への分岐


②の「高浜へ」のすぐ先に経ケ森への分岐があります。


えぐれた参道部分


最後は急な登りになりますが、目的地の標高200メートルというのが余裕をもたらします。


③ 十一面観世音菩薩立像 / 観音さまが高すぎてお参りしずらかったです。


「太山寺発祥霊地」/ 平安時代の中頃までは山頂寺院があったそうです。


奥の院 / 不動明王が祀られているそうです。


経ヶ森からの眺望 / 落葉の季節になればパノラマが楽しめそうです。


④ 護摩ケ森への分岐 / 護摩ケ森へ向かいます。


竹林で分岐します。右へ進みます。


⑤ 護摩ケ森 / 岩や雑草とともに祠がありました。「辺路修行者が聖なる火を焚(た)いて、海のかなたにいる龍神に捧(ささ)げました。それを龍燈(りゅうとう)といいます。聖なる火を焚くということがあったことは、ほぽ間違いありません。」(四国遍路の寺 上) 草刈りなど手を入れれば岩などの地形がわかりやすくなるのですが。木々を越えて経ケ森の観音像や岩子山が見えました。


④の分岐に戻り、岩子山へ向かいます。


経ケ森を迂回するルート(左の案内板)に合流。画像は護摩ケ森方面から下ってきた道を振り返ったところ。


⑦ 高浜への分岐


⑥の岩子山への分岐を見逃したことに気づかず進みました。ゆるやかな下り、遍路道沿いの石仏がテンションを高めます。


⑧も見逃して行き止まりの⑨までやってきました。ここは岩子山ではないことを理解しました。


すばらしい眺望に、これはこれでよしとしました。


帰路、⑧の分岐を発見。岩子山を目指して登ります。


が、登山道は雑草に埋もれていました。突入する装備や勇気がなく、今回はこれまでということで、出発地の太山寺に向かいました。



太山寺


経ケ森