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天霧八王山奥之院 虚空蔵寺の奥之院
(あまぎりはちおうざんおくのいん)
香川県多度津町


弥谷寺の奥之院とする関連サイトがありますが、『四国遍路ひとり歩き同行二人・解説編』(へんろみち保存協力会編)によると、「(虚空蔵寺は)弘法大師が虚空蔵求聞持の法を修行されたところで、その霊跡をあがめ虚空蔵寺が建立された」とあり、天霧八王山奥之院の「弘法大師ご修行之御遺跡」の案内から虚空蔵寺の奥之院ということにします。

虚空蔵寺にお参りして天霧山や天霧峠を仰いでいると、奥之院や遍路道が誘っているように思えてきたので、予定を変更して虚空蔵寺から奥之院、そして天霧峠から弥谷寺まで往復することにしました。 ※ 標高は手持ちの高度計によります(扱い不慣れ)。


天霧山(左:標高360m)と天霧峠(右)をめざします。右の坂道を下ったところに虚空蔵寺があります。



七ケ所まいりと遍路道の清掃の案内がありました。


砂防ダムあたりから瀬戸内海を望む。


奥之院に向う遍路道(沢の部分)/ 案内札があるので道に迷うことはありませんが、天気と相談してお参りしてください。わかりづらい「道」はこの部分のみです。


左が遍路道、右上が奥之院 / 遍路道沿いの石仏にお参りしながら虚空蔵寺から35分で到着しました。標高約120m。


「本尊薬師如来 天霧八王山奥之院」「弘法大師ご修行之御遺跡涅槃岩屋○○ 愛染明王、弘法大師之ご尊像安置奉」


お堂の内部 / コウモリが飛び交っていました。洞窟部分の幅と高さは約4m、奥行きは1.5mくらいに見えました。想像以上の規模でした。円形の白い光は木漏れ日です(ということにしておきます)。


現在の岩窟の前方は木々が茂り、視界は開けていません。天霧山が迫っており、方角的には可能(北東)ですが、日の出が遅く、角度的に明けの明星は見えないと思います。砂防ダムからは瀬戸内海が見えましたが、樹木がないとしてここから海が見えるのかどうかは不明です。


弥谷寺に向う歩きお遍路さんにお会いしました(逆打ち)。あっという間に姿が見えなくなりました。健脚です。




天霧峠(右:弥谷寺へ / 薄暗かった谷間の道から陽光が降り注ぐ峠にたどり着きました。標高約250m。麓からは1時間のスローペースです。


天霧峠(左:天霧城本丸跡へ) / せっかくなので本丸跡を訪ねることにしました。


眺望が開けました。我拝師山(481m)の捨身ケ獄禅定を遥拝することができました(左の黒い山)。


案内標識がなくなり、進行方向が急坂になったため、左手に続く斜面の小道を進むことにしました。※ 帰宅してサイトで確認すると、急坂は「犬返しの険」で、分岐点には「古井戸へ/北方尾根へ」の案内標識が設置されていました。集中力が欠如したのか、標識には全く気づきませんでした。


遊歩道にしては危険すぎる道でした。足を滑らせれば大変なことになります。まるで行場でした。もっとも、行場めぐりをしていることを考えれば場違いではないのですが。


水場がありました。これがかつての井戸ならば城跡は近いはずだと元気づけました。とりあえず、山頂をめざすことにしました。


山頂めざしてよじ上ると、二の丸跡の広場にたどり着きました。やれやれです。標高約360m。天霧峠からは40分もかけてしまいました。本丸と三の丸跡もめぐりました。


尾根には遊歩道がありました。やはり、道を間違えたようです。東側の麓から上って来られたトレッカーの方と供に天霧峠へ向いましたが、本丸跡から下る遊歩道がなくなりました。まだまだ陽は高く標高は低いので余裕はありましたが、ロープで誘導された遊歩道を見つけるまでは心細かったです。地元の方は問題ないかもしれませんが、他所から来られた方や私のような山歩きに不慣れな者のために明確な案内標識をお願いしたいところです。


天霧峠から弥谷寺への遍路道(画像は天霧峠方面)/ 天霧峠から弥谷寺までは 600mの下りです。


弥谷寺の歴代住職のお墓だそうです。


弥谷寺の本堂下、水場の右側に出ます。弥谷寺にお参りして虚空蔵寺に引き返しました。充実した半日を過ごすことができました。


県道205号から望む天霧山(左:標高360m)と弥谷山(右:標高382m)/ 天霧峠(標高約250m)は弥谷山寄り。虚空蔵寺は天霧峠の麓です。