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杖杉庵 霊場
(じょうしんあん)
徳島県神山町


衛門三郎の伝承が残る霊場です。『四国遍路の寺』によると、衛門三郎の伝承は空海の修行に従者がいたことを示すものだそうで、五来氏は「衛門三郎」から二人の従者(○衛門、○三郎)を想定されています。銀杏(いちょう)の木はもとは杉の大木だったそうです。

伝承では天長8年(831)10月20日のこととされていますが、関連サイトによると、弘法大師は天長8年5月末に悪瘡の病にあり、6月14日、大僧都を辞する旨を上表するが許されず、翌年の11月には高野山に隠棲し穀物を断って坐禅にふける日々を送る、とあります。このような時に「四国巡錫中」とは考えにくいのですが。弘法大師伝説としておきます。
<ウィキメディア>のサイトより
伝説によれば、平安時代前期の天長年間(824年 - 833年)に、伊予国の人であった衛門三郎は四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831年)10月20日のこととされる。大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。これがやがて根を張り杉の大木となったという。この地に庵が設けられ、伝説にちなんで杖杉庵と名付けられた。 (以上)

●「ウィキメディア」のサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/杖杉庵


杖杉庵


弘法大師と衛門三郎の像