篠山神社
霊場
(ささやまじんじゃ)
観世音寺
(跡)元の第40番奥之院
(かんぜおんじ)
矢筈の池
(やはずのいけ)
愛媛県愛南町
「篠山神社(ささやまじんじゃ)、観世音寺(かんぜおんじ)、歓喜光寺(かんきこうじ)、観自在寺(かんじざいじ)、篠山権現(ささやまごんげん)、十一面観音(じゅういちめんかんのん)」について「愛媛県生涯学習センター」のサイトからまとめます。
※印は管理人注
●「愛媛県生涯学習センター」のサイト:
(http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?
・観世音寺(※弘法大師により開山)は観自在寺(第40番)の奥の院として開創された。
・神仏習合の篠山権現と観世音寺への参詣は永く続いた。「江戸中期の篠山図」では篠山権現(※篠山神社、三所権現)のすぐ下に遍路屋も見え、多くの巡拝者がいたと思われる。
・明治維新の廃仏毀釈(きしゃく)で観世音寺が廃寺となった時、おびただしい寺物が正木地区の人たちによって歓喜光寺の権現堂に移された。観世音寺の本尊(※十一面観音)の遷座によって歓喜光寺が観世音寺の前札所となった。
・観世音寺が廃寺となって以降、寺の建物は篠山神社の社務所や宿泊所となり、昭和40年代まで利用されたが現在はその跡形もない。すぐ近くに歴代住職の墓石があり、面影を偲(しの)ぶことができる。
「三人寄れば文殊の知恵」のサイトでは、39番(延光寺)と40番(観自在寺)の札所について、月山神社(南照寺)と篠山観世音寺の可能性(蓋然性)が述べられています。するどい指摘です。
●「三人寄れば文殊の知恵」のサイト:
http://plaza.rakuten.co.jp/totteiwakusyokyo/8007/
県道332号の登山口に駐車場(第1、第2)があります(無料)。第1駐車場にはトイレがあります。アケボノツツジのお花見シーズン(GWあたり)には混雑するとのことです。
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関連するページ: 四国の行場めぐり > 歓喜光寺
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行程の関係により、県道4号から県道382号(南郷林道)に入りました。舗装された道が斜面を縫って登山口の第1駐車場まで続きます。
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第1駐車場(標高約800m) /
トイレあり。正面が登山口。県道332号(左)と県道382号(右)の分岐点です。御在所(篠山神社二の鳥居)からの尾根沿いの遍路道はこちらに出るようです。『四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編』(へんろみち保存協力会編)では御在所から
4.4km、愛媛県生涯学習センターのサイトでは約6km。消えかけた急な尾根道だそうです。あらためて、歩いてこそ得るものありの感を強くしました。
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アケボノツツジ群落の保全のため「入らずの森」への立ち入り制限を検討されているそうです。
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早朝の霧がたちこめた参道。いい感じです。
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観世音寺の跡地に到着(標高約1,000m)/ 明治維新の廃仏毀釈の無惨な傷跡です。ここから山頂(篠山神社)へは鹿の食害を防ぐ柵の扉を開けて登山します。
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観世音寺跡の石組みから参道を振り返る / このあたりは急斜面です。
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篠山神社下に堂宇の跡らしき空き地がありました。天狗堂の跡かもしれません。
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左が「入らずの森」、右が篠山神社と山頂(矢筈の池)への分岐
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篠山神社(標高約1,050m)/ 登山口から50分かかって到着しました。
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頂上(標高1,065m)で水をたたえる「矢筈の池」/
海の潮の干満に連動して水面が上下したり、周囲のササが諸病や馬の病に効能があるそうです。国境争いの「篠矢筈」と「池矢筈」については、宿毛市史【近世編−土予国境論争−篠山国境争い】/事件の発端
(http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/038101.html)
のサイトに詳細が紹介されています。
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今年のアケボノツツジの開花は早く、しかも少なかったそうで、すでに見頃は過ぎていました。少々残念でしたが、霧と相まった落ち着いた風情はこれはこれで印象的でした。
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わずかに残る花。報われます。
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「入らずの森」/ アケボノツツジはワイヤで補強され、遊歩道には根の痛みを防ぐ「こも」が敷かれていました。立ち入り制限を検討されるのも止むなしの感を強くしました。
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管理の苦労が思いやられます
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県道332号を下り、歓喜光寺へ向いました。空模様が怪しくなりましたが、雲の間から宇和海らしき海が姿をみせてくれました。
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県道332号は382号よりも整備されていました。
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道路脇に流れ落ちる白滝(上)と虹ケ滝(下)