興隆寺の開基の場所を田滝の黒滝神社としておられる「愛姫伝」のサイト(http://makild.exblog.jp/17783474/)に出会い、所在が不明という「奥西山の文殊岩屋」はさておいて、とりあえず、黒滝神社を訪ねることにしました。(注)神社の新築記念碑は「黒滝神社」、芳名帳は「黒瀧神社」でした。
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麦畑を楽しみながらのツーリングです。
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黒瀧神社 /
関連サイトによると黒滝神社の遥拝所のようです。県道151号の田滝小学校の西側から山側の道路に入ります。黒瀧神社、それから瀬戸内サーキットを通過し、川沿いに一車線の舗装路を進みます。採石場あたりが未舗装です。
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登山口まで行けますが、急坂、落ち葉や枝、流水など条件が悪かったので農場を過ぎたところに駐輪しました。
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登山口をめざします。2頭のシカが迎えてくれました。
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登山口の駐車場 / 登ってきた道を振り返ったところ。簡易トイレが設置されています。
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登山口(参道)からいきなりの地形になりました。山歩きに縁遠い私としては、いやおうにも気が引き締まります。
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まもなく沈み込んだような低い鳥居が現れました。安心感が湧きます。
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滑りやすい足元に注意しながら急斜面を登ります。
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第1の背?にたどり着きました。
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神域を象徴する古木です。
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急坂になります。根や枝をつかんでの山登りとなりました。
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第2の背?
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この先から再び急坂となります。
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第3の背?。最後の踏ん張りです。
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東南の方角が開けました。かすかに石鎚山らしき稜線が見えました。まさに石鎚遥拝所です。
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平坦部の奥に神社がありました。
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予想外の立派な神社でした。登山口の案内には神社まで20分とありましたが、40分も費やしてしまいました。急斜面を建築材料を背負って登られたことを思うと、自身の体力のなさに愕然としました。標高は670メートルです(地形図より)。
お参りを終えて拝殿に用意された芳名帳をめくっているうちに「ここから知恵の文殊さん、東三方ケ森まで」と記帳されているページが目に入りました。「奥西山の文殊岩屋」の文殊です。
帰宅後「文殊岩屋」をサイトで調べ直したところ、原公治さんの「エントツ山から四国の山へ」のサイト/東三方ヶ森・白潰縦走で、東三方ケ森と黒滝神社の間の「文殊谷」が紹介されていました。三角点やヌタ場(イノシシやシカなどが体表に付いているダニなどの寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びる場所)があるそうです。
●「エントツ山から四国の山へ」のサイト(東三方ヶ森・白潰縦走):
http://entotsuyama.hobby-web.net/tozanki25shirotsue.html
空海が求聞持法を修せられたということから東から東南方向が開けた「奥西山の文殊岩屋」のエリアが絞られてきます。興隆寺の納経所でうかがったお話では、調査されたものの所在は不明だったとのこと。「にわか考え」が想像を膨らませます。
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(追記)国土地理院の地図を拡大すると、文殊岩屋があると思われるエリアに「がけ(岩)」の記号がしるされていました。左の標高の高い位置のがけは東南方向も眺望できるようなので、ここに文殊岩屋がある(あった)のではと推測しています。
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下山中の一風景。
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後は下るだけと考えていましたが、下山の目印にと枯れ枝を寄せたり、踏み跡をつけていたのが見当たらなくなりました。心細くなりましたが、陽は高く神域は谷に挟まれているのでこのまま下ることにしました。急斜面を滑り落ちるように下ったところ、一つ上の砂防堤に出ました。やれやれです。
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登山口に戻り、「この先、滝あり 歩いて約20分」の案内にひかれて滝を目指すことにしました。林道の終点は砂防堤でした。その砂防堤の奥に石組みの堤が見えました。滝はさらに奥にあるものと思われますが、気温の上昇もあって砂防堤を越える気力が萎えてしまいました。一服して引き上げることにしました。
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黒滝神社に続くと思われる斜面。文殊岩屋、尾根伝いの行道、それに滝。求聞持法を修する条件がそろっています。
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四国でよく目にするミツバチの巣箱があり、黒っぽい小さなミツバチ(日本ミツバチ)が盛んに活動していました。四国では物部町の東北の山間部以外にはクマは生息していないようなのでミツバチは安泰です。