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横殿宮跡
(よこどののみやあと)
みたらしの井戸 (横殿宮の旧跡)
(みたらしのいど)
横殿大明神本地堂 (大通庵/向雲寺)
(よこどのだいみょうじんほんちどう)
愛媛県今治市
横殿宮跡
みたらしの井戸
横殿大明神本地堂


「月の抒情、瀧の激情」のサイトによると、横殿宮は大山祇神社の元宮で、みたらしの井戸は元宮の旧跡だそうです。横殿大明神本地堂には横殿神社(横殿宮)の祭神の大山積神の本地仏である大通智勝仏が安置されています。

現在の55番札所は南光坊ですが、「明治の神仏分離までは別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)が札所で、古くは大三島の大山祇神社が札所であったが、参拝の不便を解消するために別宮大山祇神社が創建された。」ということから大山祇神社について関連サイト「月の抒情、瀧の激情」で調べ始めたところ、「大山祇神社=日本総鎮守」などの通り一遍の話とは別の世界が見えてきました。

すなわち、上記のサイトでは『瀬織津姫という神が大山祇神社の元宮・横殿宮の祭神であった、つまり、霊跡「みたらしの井戸」の霊水を司る神であった。』『大山祇神社の縁起・由緒は、同社祭神・大山積大神の本姿を口が裂けても大蛇であるとはいわない(いえない)でしょうが、元宮の御手洗神にまで遡及するならば、大蛇ともなり、大蛇を祓う神でもある水霊神がみえてきます。』と述べられています。

そして、上浦町瀬戸から大三島町宮浦に遷座されたことについては、『朝廷(持統太上天皇と藤原不比等)は元宮・横殿宮からの遷宮をなぜ命じたかについても神社由緒は語ることがありませんが、瀬戸内海における航海守護の神徳をも兼備する神、しかも皇祖神の創作をもっとも脅かす神がここにまつられていたと仮定しますと新殿造営に伴う祭神変更を命ずることが「勅命」の真意だったとなりましょう。』と述べられています。

大山祇神社や大山積神については「月の抒情、瀧の激情」のサイトが参考になります。瀬織津姫については『エミシの国の女神 早池峰ー遠野郷の母神=瀬織津姫の物語』菊池展明 著(風琳堂)で、貴重な情報を得ることができます。瀬織津姫という神をはじめて知りました。

●「月の抒情、瀧の激情」のサイト(大三島・大山祇神社──元社地を訪ねて):
    http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-2.html

●「月の抒情、瀧の激情」のサイト(三嶋龍という滝神──大三島・大山祇神社【補遺】):
    http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-3.html

●「月の抒情、瀧の激情」のサイト(大三島・入日の滝──三嶋龍の神徳):
    http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-7.html

●「月の抒情、瀧の激情」のサイト(大通智勝仏と十六王子──大山祇神社の本地仏たち):
    http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-9.html

関連するページ: 四国の行場めぐり > 南光坊  別宮大山祇神社  大山祇神社



瀬戸内海に面するみたらしの井戸 / 写真前方は国道317号。


上から覗くと水面が見えました。



横殿宮跡の横殿神社(みたらしの井戸から道路利用で約200m)



曹洞宗・向雲寺 / 国道317号に案内標識があります。


横殿大明神本地堂(大通庵/向雲寺)


本尊の大通智勝仏 / 大山積神の本地仏です。「手を衣の下に納められている」ことが特徴だそうです。 ※ 光量不足のため画質調整しています




大通智勝仏の両脇に十六王子(如来)が安置されています。「月の抒情、瀧の激情」のサイトによると、十番めの王子(如来)が瀬織津姫神の本地仏(「仏体御神像」)だそうです。 ※ 光量不足のため画質調整しています



横殿宮跡


みたらしの井戸(横殿宮の旧跡)


横殿大明神本地堂(大通庵/向雲寺)