御厨人窟
霊場
(みくりやどうくつ)
一夜建立窟
(観音窟)第24番奥之院
(いちやこんりゅうくつ)
高知県室戸市
御厨人窟
一夜建立窟
御厨人窟は「みくろど」と呼ばれていますが『四国遍路の寺』にならい「みくりやどうくつ」とします。弘法大師の二人の従者(愛慢,愛語菩薩)も祀られているそうです。神明窟(しんめいくつ)には天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。
『四国遍路の寺』によると「御厨人窟が庫裡(くり)、御厨人窟のとなりの小さな洞窟が求聞持法を勤めた求聞持窟(本堂)で、庫裡と本堂と神明さんが一つになって、ひとまとめの寺院のようなかたちになる」そうです。お寺(最御崎寺)では一夜建立窟(奥之院)を求聞持窟とされているそうです。また、神明窟で修行されたとするサイトもあります。駐車料は無料です。
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よりどころ: 『四国遍路の寺』
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関連するページ: 行場としての野路山(弘法寺)> 明けの明星を探る
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国道55号、室戸岬の東側 / 右手の建物(納経所)の奥に岩窟があります
納経所で紹介されていた新聞記事や遊歩道の案内によると、室戸岬は 1,000年前に4m 急激に隆起し、1946年の南海地震により 1.2m
上昇したそうで、空海が修行した時代には岩窟近くまで波が打ち寄せていたとのことです。
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海岸の遊歩道から岩窟(御厨人窟、神明窟、求聞持窟)を擁する岩山を望む / 岩山を左手から見ると天狗の顔に見えるそうです(天狗岩)。
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向って右が神明窟、左が御厨人窟 / 御厨人窟の左手に小さな求聞持窟があります(画像では隠れています)。
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神明窟(しんめいくつ)
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神明窟から太平洋を望む
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御厨人窟(みくりやどうくつ)
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御厨人窟から太平洋を望む
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求聞持窟(ぐもんじくつ)
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求聞持窟から。現在は開口部の前方に石碑が建てられています。
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遍路道入口の小窟
御厨人窟から国道55号を灯台方面に500mくらい進むと駐車場があり、トイレの脇に小さな岩窟があります。当日は猫が昼寝をしていました。
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小窟から
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小窟の先に最御崎寺へ登る遍路道の入口があります。この坂を上がると一夜建立窟のある広場に出ます。
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一夜建立窟(奥之院)
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「明治初年までは女性の納経所はここにあって、本堂には登らずに女道を通って25番に行ったところです。」との案内がありました。
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一夜建立窟から
2012年9月21日に確認してきた各岩窟と明けの明星についてのまとめです。
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神明窟(しんめいくつ)
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御厨人窟(みくりやどうくつ)
❸
求聞持窟(ぐもんじくつ)
❹
遍路道入口の小窟
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一夜建立窟(奥之院)
天文ソフト(iStarts for Macintosh
3.1.0)によると、室戸岬の当日の明星は午前2時40分頃に東北東に姿を現し、午前5時頃には東に位置するようになっていますが、午前5時頃にはもう少し南東側に傾いているように見えました。
また、天文ソフトでは薄明始めは午前4時30分頃、夜明けは午前5時20分頃になっています。毎日のように日の出を撮影するためにやって来るという地元の方のお話では、室戸岬では暖流の黒潮の関係で水平線あたりに雲が発生するため、水平線から顔をのぞかせる日の出はほとんどないとのことでした(この方の撮影対象は雲でした)。明星が姿を現す角度についても考慮する必要があります。
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当日の日の出。水平線には雲が帯状に横たわっていました。
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御厨人窟の前方より明けの明星を望む(午前5時前)/
すでに明星の角度は大きくて岩窟内からは見えませんでした。岩窟の外に出るとやや右手上方で輝いていました。露出オーバーの写真ですが体感的にはこのくらいの感じに見えました。
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一夜建立窟の前方より(上、午前5時過ぎ) /
現在は岩窟の開口部は石垣が積まれ樹木で覆われています。さらに午前5時過ぎには明星は東の方角にあるため、岩窟内からは見えませんでした。岩窟の外に出て右を振向き明星を仰ぎました。
漆黒から青味がかった空に移るにつれ、天空には白く輝く明星だけが美しく浮かんでいました。求聞持法の成就ではこのあたりの時間帯がふさわしいと感じました。
求聞持窟について
空海が求聞持法を修された求聞持窟について、五来氏は御厨人窟のとなりの小窟(
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)を求聞持窟とされ、最御崎寺では奥之院の一夜建立窟(
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)を求聞持窟とされているそうです。
神様をまつる神明窟(
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)は南東を向いており、左手の東方面には岩山が迫っていて明星は見づらいです。この窟での求聞持法は不可能と考えます。
五来氏が『弘法大師は平生は御蔵洞で生活していました。ここは食堂でもあり居間でもあります。』と述べられている御厨人窟(
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)の向きは東向きで、明けの明星が出る方角になります。右手の東南方面には岩山が迫ります。
五来氏が求聞持窟とされる小窟(
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)ですが、北東寄りの方向で、前方には神明窟から伸びた岩山が壁になっているので開口部の近くでないと明星は見えないと思います。
御厨人窟から南に500m、駐車場のトイレの横にある小窟(
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)は縦長の開口部を持つ奥行きの浅い岩窟です。五来氏が一夜建立窟(
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)について『いちいち本堂(御厨人窟のとなりの小窟)とこちらまでの間を往復するのはちょっと無理だろうとおもいました。』と述べられているのが気になりますが、東南東の方角を向き、明星の高さに対応できる縦長の開口部、浅い奥行きという好条件の岩窟です。小さ過ぎるのがどうかなというところです。
最御崎寺が求聞持窟とされているという奥之院の一夜建立窟(
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)は東北東を向いており明星の方角とは許容範囲になります。現在は岩窟の開口部に石垣が積まれ、樹木で覆われていますが空海の時代にはなかったかもしれません。
「求聞持法の拝み方は窟内から明けの明星を見ながら拝む」ということにこだわり、岩窟の向き、開口部の形状、岩窟まわりの環境(障害物)から、求聞持窟にふさわしい岩窟を独断で順位付けすると、遍路道入口の小窟(
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)、御厨人窟(
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)、一夜建立窟(
❺
)、求聞持窟(御厨人窟のとなりの小窟)(
❸
)、神明窟(
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)、となります。
御厨人窟
一夜建立窟(観音窟)