石鎚山 ← 瓶ケ森・子持権現山 → 前神寺
 


瓶ヶ森
(かめがもり)
子持権現山
(こもちごんげんやま)
高知県いの町・愛媛県西条市


石鎚山系は仁淀川(によどがわ)と吉野川の源流域です。

石鎚山(信仰)についてはわからないことが多すぎるので関連サイトや『四国遍路の寺』からの情報を整理しました。

よりどころ: 『四国遍路の寺』
参考: 石鎚山

「愛媛労災病院山の会」のウェブサイトでは、「石鎚権現は最初に筒上山に祀られ、ついで瓶ヶ森、そして石鎚山に移られた」(土佐郡本川郷風土記/1,706年著)、 「男子は男山(おやま、剱石)に登って拝み、女人は女山(めやま、笹ヶ峰)で権現を拝み、子持権現では身を潔め、心の垢を拭い精進して権現を拝み、剱石(天)笹ヶ峰(地)と子持(人)と一体に利益成就、衆生済度をする」(石中寺縁起)(要約)と紹介されています(男山、女山、子持権現は瓶ヶ森の三山)。

●「愛媛労災病院山の会」のサイト:
    http://user.shikoku.ne.jp/ichirota/index.html

ウィキペディア/笹ヶ峰のサイトには「古代、石鎚山として称された山は瓶ヶ森、子持権現山および笹ヶ峰であったとされる。『正法寺史』の記述に基づくと奈良時代の石鎚山は瓶ヶ森、子持権現山、笹ヶ峰のうち、現在の笹ヶ峰を指していたとする説があり(以下略)」とあります。

●「ウィキペディア」のサイト(笹ヶ峰):
    https://ja.wikipedia.org/wiki/笹ヶ峰

空海が修行した「石鎚山」ですが、現在の石鎚山に限定せず、石鎚山、笹ヶ峰、瓶ヶ森、子持権現山を中心にした石鎚山系とした方がいいのではと考えています。

関連するページ: 四国の行場めぐり > 石鎚山

※ 四国の行場めぐり > 景勝地 > 瓶ヶ森線  と重複する部分があります。

(追記)
クマの目撃情報があります。注意してください。

●「西条市」のサイト:(2014年5月)
    https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/kanko/kumatyuui.html

●「ロストテクノロジ研究会」のサイト:(2016年8月)
    http://d.hatena.ne.jp/losttechnology/20160822/1471385629

●「クマ出没情報ブログ」のサイト:(2018年10月)
    http://sukeroku.blog55.fc2.com/blog-category-64.html


瓶ヶ森(左)と子持権現山(右の岩山)/ 瓶ケ森線(よさこい峠方面の展望所)から。大正14年(1925)に石土山石中寺派(せきちゅうじ)の信者600人により懸けられた七つの鎖場があるそうです。石鎚権現が筒上山から瓶ヶ森、石鎚山へと移られたそうなので、行者ルートは古来からの修験道ルートだと思われます。

関連サイトによれば、行者ルートで子持権現山へ登山(登拝)するためには鎖やロープが必要な地形です。鎖が懸けられる前は綱が下げられていたのでしょうか。耐久性がない綱では事故が少なくなかったのではと推測されます。近年の観光登山とは違い、行で落下したとしても納得するしかないでしょう。行者ルート(子持懸け・ホンガケ行)の厳しさが実感できます。


瓶ケ森(1,896m)/ 行者ルートの七つの鎖場のうち、男山直下にある最後の鎖場の先には石土権現が祀られているそうです。


子持権現山(1,677m)/ 頂上の岩窟に蔵王権現が祀られているそうです。子持権現山への通常ルートは 80mの鎖(中央の縦線)をたよりに登山(下山)するそうです。体力と技術が要求されるそうです。


子持権現山と環水平アーク(かんすいへいアーク)/ 南方上空に現れた「一本線の虹」(虹ではないそうです)。心に残るショットになりました。(2014/05/04 11:00)



瓶ヶ森


子持権現山